犬のような胴体のもの

「これは神様だよ。」

それだけを
コウブンさんは言うのであった

YOSHIDA KOUBUN
photo hiraoka shoko






























無花果をつけた木
悔いなく、
生きる事を全うしたような
力強く枯れた葉

恐ろしく美しいものを見た気がした。

「そーんな枯れたもの撮って、もの好きな人もおるもんじゃ。
そんなんよりいいもの見せてやる」
と、おじいが連れて行ってくれた畑の堆肥の中では
大きく育った甲虫の幼子が
何十匹もぷりぷり生きていて

花びらが散った地面に置かれた幼子は
私たちが知らない世界から
生まれてきた事を歓迎されているようだった。
















あれから三ヶ月も経つのに
頭の奥にずっと優しく寄り添うような記憶はなんだろう。

2014年9月、瀬戸内海に浮かぶ無人島での牛窓ナチュラルキャンプ。
夜、フェリーに乗り遅れた私を迎えてくれたのは、
真っ暗闇から現れた赤いカヤック。
暗い海を、カヤックが無人島を目指しゆっくり進んでいく

ただ暗かった闇の波は、海を進んでいくにつれて月明かりと
手に触れた海蛍の輝きでだんだん明るくなっていくのがわかる
遠くに目をやると、街明かりから空へ光のグラデーションの模様ができていた。


ずっとこのまま、この波と音に漂っていたいと思った


島では思い思いの時間が流れ、思い思いに音楽が流れる


月と太陽の光の下に生きている。
そんなことを想った記憶がひっそりと、そして優しく
今も寄り添う。






































































  
















































友人に会う為と、その友人のおばあちゃんが還暦を迎える記念にと
家族写真を撮る為、2014年の冬、私は福岡に向かった。

家族写真を無事撮り終えた後、
東京から岡山に移住した少し世話のかかる友人と合流し、
入った雰囲気のある珈琲屋。
彼女はお店のカウンターで珈琲を淹れていた。

穏やかで気取らない、気持ちの良い空気をもつ人であった。
写真を撮らせてもらって数か月後、
フィルムに焼き付いた彼女はやはり気持ちの良い目で
私を見るのであった。











おはよう、あやのさん。朝だよ。
顔をあげるといつの間にか春がきていて
なかなかその春についていけなかったのだけど

何かが今、静かに水面下で動き始めている気がする。
これからきっと地面に沢山の雨が降り注いで
植物たちはシャワーをあびて
また、大切な人達と出会った夏がくる。

部屋の枯れて切り取られた茎からは
いつの間にか新芽がでてきていた。
人生は、きっとそうゆうことだ。








coffee gentleman
2014.1.31

ある疑問がうまれた。
seriesの始まり




 
 
 
 
胸がとても熱くなるのを感じた。

撮る時は直球な言葉しかでてこない、というかそれ以外必要ないのかもしれない。
相手の好きな所、相手の綺麗な所を無我夢中かつ無心に言っている。
もしくは言葉はなくとも撮るという行為がそれを伝えてくれていたり。
でも本人はその自分の綺麗さに気が付いていない。けどそれがまた綺麗だったりする。
 写真を撮るという行為は本当に素晴らしい行為だと思う。
こんな風に思えるにはとても時間がかかったのだけれど
相手の本質だったり本音と触れ合ったり合わなかったりして
だんだんと相手と一心同体になる。
ダンスだって絵だって陶芸だって映像だってすべて、
高揚する瞬間、気持ちよくなる時は媒体が違うだけで同じ世界にいるんだと思う。
全ての人がうわー!とくる訳ではないと思うけれど
少なくとも私の周りにいる素敵だなぁと思う人達からはそう感じる。
相手と出逢いゆっくりゆっくり相手と自分が混じった空気を互いに吸ってそれがカタチとして残る。
もしかしたら奇跡に近いのかもしれない。
 
 
 
 
 
 











 
 
 


























 
 
 
 
断片
 
忘れてはならない断片のひとつひとつ。
 
自分のなかで抑えなきゃならない切なさとか優しさ、苦しさ。
でもいつもどこかあったかくて
今までの自分に逃げず見つめなおそうとして
見えなくなって、また見えてきて。
今までやってきたことが空っぽに思える時もある。
でもそんな繰り返しの中でお互いの成長はもう始まっていて。
もう動くしかないみたいだ。
あなたの心から溢れる涙と笑顔を見る日を待っている。
決めたからにはとことんやってやれ。
この愛がある限り
私はあなたを応援し続ける。